釜ヶ崎実行委員会について

釜ヶ崎実行委員会について

釜ヶ崎実行委員会とは

年末年始の「越冬闘争」と「越冬まつり」、8月13日から15日までのお盆休みの期間の「夏まつり」を実施している有志団体です。

取り組み

現在、第51回 釜ヶ崎越冬闘争実行委員会として活動中です。(2020年12月29日~2021年1月4日)毎週火曜日19時からふるさとの家で実行委員会を開催しています。

釜ヶ崎越冬闘争

毎年、年末年始は「越冬闘争期間」とされています。1970~1971年の「仲間による仲間の為の越年対策」として始まり、以後毎年継続されています。

万博が終わった1970年の年末。仕事がなくなり行政機関も一斉に休みに入ると、釜ヶ崎では多くの日雇い労働者がドヤ(簡易宿泊所)から路上に投げ出される事態が生じました。この状況に有志たちが「釜ヶ崎越冬対策実行委員会」を結成し炊き出しや集団野営に取り組んだことが越冬闘争の始まりでした。1975年には公園のテント村が大阪市・機動隊により取り壊し(行政代執行)をうけました。1978年には地区内の三つの公園が全面閉鎖されました。しかし越冬闘争は49年間、その時代の課題と取り組みながら一度も途切れることなく続けられてきました。

釜ヶ崎夏まつり

夏まつりは、釜ヶ崎に集う労働者にとって、いわば、ふるさとでのお盆のような行事として親しまれてきました。夏まつりの期間中、公園には祭壇が設けられ、最終日には、亡くなった多くの仲間の追悼も行われてきました。ステージパフォーマンス、釜ヶ崎の労働者が主役の労働者名人会、のど自慢、スイカ割り、つなひき、相撲大会、そして、盆踊り、それに加えて、たくさんの手づくり屋台など、夏まつりの催しは釜ヶ崎労働者、地域の住民、支援者などたくさんのみなさんの参加により、釜ヶ崎の文化としてすっかり定着してきました。

1972年の第1回以来、第48回まで毎年途切れることなく続けられてきましたが、新型コロナウイルス感染症の世界的感染拡大の影響を受け、第49回は中止となりました。

夏まつりは故郷に帰ることなくこの地で亡くなった労働者たちを慰霊するための大切な夏の行事です。第49回は中止となりましたが、三角公園には慰霊のための祭壇を設け、亡くなった仲間たちの写真や名前を掲示しました。